心配しなくてもだいじょうぶ 死ぬまで生きる!ringonomiganarukiの日記

前向きな日もそうじゃない日も、何か一つ喜びを☆

アルコール依存症という病

父は、ちょっと短気なところはあるものの、常識的で本をたくさん読んでいて、人への接し方もソフトで紳士的な人だった。面白いことが大好きで、よくおかしなことをして笑わせてくれた。

難病を患い、仕事を30代で辞めたため、私と接する時間も多く、たくさんのことを教わった。

それは、躾的なものから、絵画のこと、音楽のこと、本のこと…とさまざまだ。

そんな父が、アルコール依存症であると解ったのは、他界する二年ほど前のことだった。

物心ついたときから、お酒を飲んで暴言を吐いたり、誰かと掴み合いの喧嘩をしたり、もちろん、矛先が私や母に向かうこともあった。

夜中に、探し回ったことも、警察から電話がかかってきたこともあった。

インターネットの普及で、「アラノン」というアルコール依存症の家族会があることを知り、母と行ってみたりもした。

サイト上で知り合った、同じように苦しんでいる方から励ましの言葉とともに「あなたにできることはない。底つきを待って。あなたはあなたの時間を大事に過ごして」とも言われた。

アルコール依存症は、まずは本人が認めなければ治療につながらない。

父も「お父さんはアルコール依存症じゃない!朝からお酒飲んだりしてない」と頑なだった。

とある事件がきっかけで、父が「(アルコールの)病気かもしれない。病院へ行こうと思う」と言い、本当に良かった…と安堵したが、それはまだスタートに過ぎなかった。

病院へ一緒に行った時に、先生に言われた言葉がとてもショックだった。

「あなたのような幸せな人はなかなかいませんよ。みなさん、家族にも友人にも見放されて、一人で来られる方がほとんどです。あなたのように、ご家族が一緒にきてくれるなんてことは滅多にないんですよ。あなたのこれからの為にも、ご家族の為にもがんばりましょうね!」と。

父は涙を流した。私も辛かった日々を思い出して涙ぐんだ。ここにくるまでに20年くらいかかった。それまでに、たくさんの人が傷つき、傷つけた父もまた傷ついた。根はやさしく、情の深いひとだけに、人に迷惑をかけ、傷つけることに対してなんとも思わない人ではなかったから。

入院治療…といっても、もっぱら断酒と、座学、運動だ。

なぜ、お酒を飲んでしまうのか、飲みたくなったらこれからどうするのか?同じ患者さんたちとのグループミーティングもあり、そこで仲間とともに自分を見つめ直すという作業が続く。

父のお見舞いに行くたびに、顔つきが優しくなってくるのが解る。

そして、反省と後悔と懺悔の言葉が出る。

「おふくろにも迷惑をかけた…」としょんぼりしていたので、「生きているうちに気付けて良かったよ(苦笑)」とニヤリと笑って言うと「そうだね」と穏やかに笑っていた。

退院して、またお酒を飲んでしまい(スリップと言うらしい)、また入院して…の繰り返しだった。

ずっと、闘っていたんだと思う。

「いろんな人に、自分がアルコール依存症だということを話していこうと思う。誰かの役に立つかもしれない」そう言っていた父。

あまりにも早く、他界してしまったけれど、私がその意思を継いでいこう。

お酒を断って、「朝から頭がすっきりしてる!クリアな感じ!」と喜んでいたので「だいたい、普通の人はそうだよ!今知ったの?」と返すと「そっかー(笑)」と笑っていた。色んなことに気づいては、それを私に伝えてくれた。

父…というより、わたしとしては「手のかかる出来の悪い弟」みたいな一面もあった。

なんだか、不思議な父娘だった。ちょっと、会いたくなったなぁ。

久しぶりに、夢にでもご出演願いたい。ノーギャラで。

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