アルコール依存症という病
父は、ちょっと短気なところはあるものの、常識的で本をたくさん読んでいて、人への接し方もソフトで紳士的な人だった。面白いことが大好きで、よくおかしなことをして笑わせてくれた。
難病を患い、仕事を30代で辞めたため、私と接する時間も多く、たくさんのことを教わった。
それは、躾的なものから、絵画のこと、音楽のこと、本のこと…とさまざまだ。
そんな父が、アルコール依存症であると解ったのは、他界する二年ほど前のことだった。
物心ついたときから、お酒を飲んで暴言を吐いたり、誰かと掴み合いの喧嘩をしたり、もちろん、矛先が私や母に向かうこともあった。
夜中に、探し回ったことも、警察から電話がかかってきたこともあった。
インターネットの普及で、「アラノン」というアルコール依存症の家族会があることを知り、母と行ってみたりもした。
サイト上で知り合った、同じように苦しんでいる方から励ましの言葉とともに「あなたにできることはない。底つきを待って。あなたはあなたの時間を大事に過ごして」とも言われた。
アルコール依存症は、まずは本人が認めなければ治療につながらない。
父も「お父さんはアルコール依存症じゃない!朝からお酒飲んだりしてない」と頑なだった。
とある事件がきっかけで、父が「(アルコールの)病気かもしれない。病院へ行こうと思う」と言い、本当に良かった…と安堵したが、それはまだスタートに過ぎなかった。
病院へ一緒に行った時に、先生に言われた言葉がとてもショックだった。
「あなたのような幸せな人はなかなかいませんよ。みなさん、家族にも友人にも見放されて、一人で来られる方がほとんどです。あなたのように、ご家族が一緒にきてくれるなんてことは滅多にないんですよ。あなたのこれからの為にも、ご家族の為にもがんばりましょうね!」と。
父は涙を流した。私も辛かった日々を思い出して涙ぐんだ。ここにくるまでに20年くらいかかった。それまでに、たくさんの人が傷つき、傷つけた父もまた傷ついた。根はやさしく、情の深いひとだけに、人に迷惑をかけ、傷つけることに対してなんとも思わない人ではなかったから。
入院治療…といっても、もっぱら断酒と、座学、運動だ。
なぜ、お酒を飲んでしまうのか、飲みたくなったらこれからどうするのか?同じ患者さんたちとのグループミーティングもあり、そこで仲間とともに自分を見つめ直すという作業が続く。
父のお見舞いに行くたびに、顔つきが優しくなってくるのが解る。
そして、反省と後悔と懺悔の言葉が出る。
「おふくろにも迷惑をかけた…」としょんぼりしていたので、「生きているうちに気付けて良かったよ(苦笑)」とニヤリと笑って言うと「そうだね」と穏やかに笑っていた。
退院して、またお酒を飲んでしまい(スリップと言うらしい)、また入院して…の繰り返しだった。
ずっと、闘っていたんだと思う。
「いろんな人に、自分がアルコール依存症だということを話していこうと思う。誰かの役に立つかもしれない」そう言っていた父。
あまりにも早く、他界してしまったけれど、私がその意思を継いでいこう。
お酒を断って、「朝から頭がすっきりしてる!クリアな感じ!」と喜んでいたので「だいたい、普通の人はそうだよ!今知ったの?」と返すと「そっかー(笑)」と笑っていた。色んなことに気づいては、それを私に伝えてくれた。
父…というより、わたしとしては「手のかかる出来の悪い弟」みたいな一面もあった。
なんだか、不思議な父娘だった。ちょっと、会いたくなったなぁ。
久しぶりに、夢にでもご出演願いたい。ノーギャラで。