シンクロニシティ
意味のある偶然の一致をシンクロニシティというらしい。そういえば、河合隼雄の本を読んでいた時に、良く出てきたような気がする。
シンクロニシティはある意味「メッセージ」だと思っている。神のお告げ的なもの…とも思えるくらいの「メッセージ」
4年ほど前に、うつ病になり休職していた時に「良かったら、パラパラっとしてみて」と友達が本を送ってくれた。当時は、大好きだったこともできなくなっていたので本を読むのも、テレビを見るのも、音楽を聴くこともできなかった。
なので、ずっと本棚に眠らせておいた。
さっき、「ブログ書こうかなぁ」と自分の部屋に来て、パソコンを起ち上げているときに、なんとなく目に留まり、手に取ってみた。
なんとなく、めくっていると気になる一文があった。
「心をやわらかくするために、まずは『絶対』『普通』と言う言葉を禁句にしてみましょう」という一文。(『今日もていねいに』松浦弥太郎著)
今日、ずっとなんとなく(←この「なんとなく」という感覚も大事な気がしています)
「〇〇でなければならない…って考えてみたら、本当にそうなのかなあ。〇〇じゃなくてもいいんじゃないかな」とか「なんで、仕事は平日するものと思ってるんだろう。私は平日に休みをとって、母の病院に付き添いたいから、土日に長い時間働くのもありなんじゃないだろうか…」とか、「〇〇でなければならない」というくくりを外したら、
「もしかして、〇〇でもいいんじゃないか」と思える…選択肢が増えたような気がした。
そして、愛読させてもらっている才野さんのブログで、また「あれ?これって、私がいつも考えていることだ!」という一文に出会う。
人や社会や特に親御さんの顔色を見て 他人にも自分にも遠慮をして生きてきた 「偽りの自分」に 気づいてしまった、今年の夏 けれどね、それはね あなたが「親に心配させたくない、安心させたい」っていう あなたの優しさから選んだ仮面、だったんだよ。 けれど、もうその仮面(自分への嘘)は 外そうね。 外しても、いいよ。 外していくご自身を赦し、受け容れていこうね。 実はそんな「あなたの魂100%でイキイキと生きる姿」を 誰よりも望み、喜んでくれるのは 他の誰でもない、親御さんだと思うよ(*´ω`*) だから大丈夫、そんな新しい、 純粋な魂の望みに戻っていくご自身を 赦していいよ 受け容れていいよ
約束でもない、誓いだよ - 宙(そら)から私をよむ~出生天空図から自分らしさを知る〜
また引用させて頂きました^_^;
「人の為と書いて『偽り』」と何かの本で読んで、その意味を時々考えたりする。(ほんとに時々だけど…)
私の「母の為」「上司の為」「会社の為」「〇〇さんの為」も「偽りの自分」だったのかもしれない。
時々思う事は、「母の為に」と言いながら、どこか後ろめたさがあった。偽りではないけれど、そう言われる母は「私のせいで、この子はしたい仕事をあきらめたりしてはいないか」と思うのではないかと。それに、母を言い訳に仕事をすることを先延ばしにしているような気もしていた。
今年の夏、母を安心させたいと、フル勤務で契約社員の職に就いた。
けれど、鬱を再発しかけ、それ以前に体調を崩し久しぶりに高熱を出し寝込んだ。
「あー無理していたんだ」と痛感した。気持ちよりも先に体に出てしまった。
少しずつでいい。「これだけ、お給料がないと生活できない!」という一応の目安はあるものの、それをきっちり守らなくてもいい。母に甘えて、母を支えて共に歩いていけたらいいのかもしれない。
久しぶりに開いた本の言葉が、時間を経てきちんと私の心に届いた。
同じタイミングで才野さんの言葉も私に届いた。
私の考えている二つのことへの、答えと言うか、ヒントが与えられた。
これはシンクロニシティ。
多分、すこーしだけど、私の思考は変わる…予感。
話は変わって…
母のリハビリがてらのお散歩。金木犀が香る季節になりました。
柿もなってた!外を母と手をつないで歩く時間。かけがえのない時間です。
余談ですが、「かけがえのない」の語源は弓道の時に使う「かけ」からきているそうですよ。
「かけ」は右手で弦を引く時に手を傷めないために使うグローブのようなもの。個人個人の癖がつくので、「替えが効かない」ことから、「かけがえのない」という言葉ができたとか…(諸説あります。ちなみに私の弓道の先生の話です)