心配しなくてもだいじょうぶ 死ぬまで生きる!ringonomiganarukiの日記

前向きな日もそうじゃない日も、何か一つ喜びを☆

ブログのおかげで作り出せる時間

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数年前に母と行った宮島で…なぜか銀杏(笑)

まずは、お礼をm(__)m

ちらりとこちらのブログを覗いて頂いた方、読んでくださった方、さらに読者になってくださった方々、引用させて頂いた方、コメントにお返事下さった方にお礼を。

このつたない文章で…本当にありがとうございます♪

なんとなく「100」って嬉しいです!本職のブロガーの方から見れば、「え?!100で喜んでるの?!」という感じかもしれませんが(苦笑)

タイトルのお話ししましょう

ブログを始めてから、自分の時間を持てるようになった。

ずっと母と同じ部屋で過ごしていたけれど、そうすると色々手を貸したくなって、自分でできることまで私がしてしまうようなこともあった。母のいろんな回復の妨げになっていることも、多分あったんだと思う。それも、あまり良いことではなかったなぁと反省。

それに、自分の時間を持つこと、一日を振り返ったり「今度はこれをやってみよう!」とか「そういえば、これが気になっていたからしらべてみよう!」とか他の方のブログを読んで世界が広がったり…こういう時間も大事なんだなぁと気づいた。

思い切って始めてみて良かった。

昔mixiをやっていたけれど、そこは友達や知り合いばかり。顔なじみだから話せないこと、言えないこともある。ここでは、知らない人ばかりなので(本当は知り合いもいたりするかもですが)そういうしがらみもないので、書きたいことを書けるのも、気持ちいい。知らない人の知らない日々…それを読みながら「こんなことを考えている人がいるのか…」「こういう世界もあるんだ…」とか、私の世界も少し広がりつつある。

ブログに綴るネタを考えていて思い出せたこと

昨年、母オプジーボ投与後、間質性肺炎になり、足のむくみもひどく足首が解らないくらいパンパンになっていた。「私に何かできることはないか」と本屋に行き色々探していて、「タクティールケア」というものを知った。

タクティール®とは、ラテン語の「タクティリス(Taktilis)」に由来する言葉で、「触れる」という意味があります。その意味が示すように、手を使って10分間程度、相手の背中や手足を「押す」のではなく、やわらかく包み込むように触れるのがタクティール®ケアです。このケアは、私たち自身の手の持つ力を再認識させてくれます。

 

jsci.jp

 強い刺激やツボを刺激するのでもなく、反射区を刺激するリフレクソロジーとも違う、ケアの方法だった。

早速本を買って、ぬいぐるみで練習して、母の足や背中を撫でた。

 

タクティールケア入門 第3版

タクティールケア入門 第3版

 

 その効果がどうだったかは、わからないけれど、母は気持ちいいと言ってくれていたし、私ができるのはそれくらいだった。

これを、もう少しきちんと学びたい!とその時思っていたことを思い出した。

道具も使わない素手でのケアの気持ちよさは、リフレクソロジストのライセンスを取る時に知った。

ケアする側の手のぬくもりが、ケアされる側に伝わるので、安心感が増す。

「気持ちいい」と思う事や、「安心感」というのは、病気になった時に病気そのものを治せなくても癒すこと、痛みや苦しみを和らげる事ができるのではないか。

リフレクソロジストのライセンスを取る時、よく父の足で練習をした。

とても喜んでいた。そうやってコミュニケーションもとれた。

そして、見よう見まねで父がお世話になっていた、おじいさんにしてあげたと嬉しそうに話してくれた。「すごく喜んでもらえたよ!」と。

飲んでは迷惑ばかりかけ、お説教もしてくれていたおじいさんだったので、ささやかな恩返しにもなったのかもしれない。それが父にも嬉しかったのかも。

 

誰かに喜んでもらえること、誰かと一緒に喜べること。

そんな時間を少しでもふやしていきたいなぁと思う。

 

仕事が決まって、落ち着いたら、タクティールケアの講習も受けてみたい。

ちょっとお金もかかりそうだけれど…。

 

そうそう、今日テレビを見ていて

母が「(京都)三千院に行ってみたい」と言っていたので

「来年は三千院行こう!足腰鍛えとかないとね!スクワット一緒にしようか?」と言うと「うん。頑張る!」と(笑)

「明日はわからない」と思いながらも、こうして先の計画を立てるのも楽しい。

 

自分のやりたいことも、母のやりたいことも、叶えるぞ!

なんだか、やる気が出てきた!(笑)