本棚を見て思い出す言葉
あまりにも、スマホが打ちにくいので自分の部屋に来てみた。
室温13.5度…
相変わらずの寒さ。
よく、この部屋で何時間も受験勉強なんてできたなぁ…
若さだろうか(苦笑)なんてことも思う。
パソコンを置いてあるベンチチェストの横に本棚があるのだけど、
そこを見ているとちょと面白い。
「あ、この本は失恋した時に、大学の先生に話したら
『そういう時は、思いっきり浸りなさい。その時にしか読めない普段はクサイなぁと思う本とかあるから(苦笑)』と言われて読んだ本だっけ…」と思い出したり…
その時の本がこれ↓
「この図鑑は父が小学生の時に、入院先から取り寄せてプレゼントしてくれたんだっけ」とか、古い日本文学全集は祖父(私が生まれた時には他界していたけど)の愛読書だったんだなぁとか、私も含めいろんな人のいろんな思いやドラマがあるんだなぁ…と。
父が他界して、父の古い手帳を見つけた。
その時に、図鑑のことを知った。
入院先だったんだ…私は小さかったから図鑑をもらったことは覚えていても
それが父の入院先の病院だったとは。
そして、手帳には薬の副作用か震えた字で「図鑑を誕生日プレゼントにした。りんごが喜ぶかなぁ。楽しみだ」と書かれていた。
別の日には「りんごは、今日も見舞いには来なかった。父親とは寂しいものだ」とも…。
父の病院は遠く、整形外科で大変な傷を負った人が多く
子ども心には怖かったのだ。顔が傷だらけとか、足を包帯でぐるぐる巻きとか…。
仕方ない。子供だもの。
父がそういえば、こんなことを言っていた
「りんごちゃん、口と言うのは不思議なものだね。
大きく開けてハーっとゆっくり息を吐いたら、冷たい手をあっためることもできる。
口をすぼめて勢いよく息をフーッと吐いたら、熱い物を冷ますこともできる。
言葉も同じだね。
人を傷つける冷たい言葉じゃなくて、できれば、人を励ましたり支えたりする、あったかい言葉を使おうね。」
そんな話をチビの私にしてくれたことがある。
チビなりに理解した。
だから覚えている。
父は厳しかったけれど、「子供だから仕方ない」ではなく「子供でも話せば理解するものだ」という想いが強く、よく諭された。
それと、よく覚えているのは
「人が怒られたり、注意されている時にその人を『あーあ、怒られて(笑)』と笑って見ているようなことをしてはいけないよ。
その人と、りんごちゃんは同じことをしてしまったかもしれない。今からしてしまうかもしれない。自分のこととして、きちんと聞きなさい。そして気を付けなさい。」という話。
いまだに、人が注意されていると聞き入ってしまう(自分の仕事をちゃんとしなさいよ!って話かもしれないけれど)
やっぱり、こうやって一人になると父のことを思い出す。
他界して思い出さない日はないんだけれど。
だいたい母と「あの時は大変だったよねー酔っぱらって〇〇まで迎えに行ってねー」とか「あの時は、寒いのに道路で寝てたよねー」とか笑い話だけれど(苦笑)
一人でいると、父の「名言」を思い出します。
なぜだか…。
そして、父に会いたくなる。
今日も読んでくださってありがとうございます☆