心配しなくてもだいじょうぶ 死ぬまで生きる!ringonomiganarukiの日記

前向きな日もそうじゃない日も、何か一つ喜びを☆

心身の疲労について

ここ、一か月身体が痛い。

特に背中。

数年前にうつ病になったときも、まずは背部痛、頭痛、胃痛だった。

 

そんなことを思い出すと、今の私は、かなり無理をしてるんだと思う。

そういえば、胃痛もあるなぁと気づく。

そういえば、先日は接客後に気が緩んで泣きそうになったこともあった。

特に難しいことを聞かれたり、怒られたわけでもないのに…。

 

数ヶ月前に異動になり、事務の業務から接客になった。

お客さんにも、新しいもの部署の人々にも気を使わなければならず、仕事中気が休まるのはトイレと休憩の時のみ。

仕事も覚えないといけないけれど、接客しながらなのでメモもとれない。

デスクワークばかりだった私には、ほぼ立ち仕事という点も

 

帰る頃には、心身ともに疲労のピークでご飯の用意もできない。

ずっと、母に甘えている。

家では、ぐったりと寝転んでぼんやりしている。

接客の時は、笑わなきゃいけない。

家では無表情になる。喋るのも面倒になる。

 

母の癌も消えたわけではない、もっとゆっくりさせてあげたい、ちゃんと栄養も考えた食事も作りたい、もっと楽しくおしゃべりもしたい…

だけど、今の私にその余裕はない。

 

このご時世、仕事があるだけ有難く思わなくてはいけないのかもしれない。

でも、私の望んでいる生活はこんなんじゃない。

 

仕事よりも、母との時間を大事にしたい。もちろん私の心身の健康あってのことだから、そこも大事。

 

何よりも、母には私が元気に毎日仕事に行き、元気に帰ってくる…そのことが嬉しいことだと思う。

 

うつ病になったときに、毎日泣きながら出勤し、泣きながら帰宅していたのを見ているので…。

 

母に心配をかけることは、母の病気にもマイナス効果だろう。

だけど、生活をしていかなくてはならない。

 

私はまた、倒れるまでやるしかないのかな…という結論にたどり着くと、泣きたくなる。

 

今日はカウンセリングの予約を入れようと思っていたけど、その気力もなく。

 

こうして、文字にして自分の想いを整理してみようかなという試み。

 

文字をみながら、「…ない」「〜しかない」「しなければならない」

の言葉の多いことに気づく。

 

本当にそうなのかな…。まずは、そこを疑ってみよう。

うつ病になって、リワークプログラムという復職プログラムに通っていたときに「〜かもしれないけど、〜かもしれない」という思考の大切さを知った。

どうしても、自分の考えは偏りがち。

 

オセロのように、黒が白にすんなりかわることもあるかも。

 

『お客さんにも、新しいもの部署の人々にも気を使わなければならず』を疑ってみよう。

お客さんに気を使うのは、当然として部署の人々には、今の半分くらいの気の使い方にしよう。

忙しくて、あんまり気にしてないかもしれないし。

「ここで、この仕事に時間かけすぎたらイラっとさせるかなぁ」とか「今、何かやりましょうかって尋ねたほうがいいかなぁ、余計なことかなぁ」とかは、考えすぎないようにしよう。

 

こんな感じで、少しは対処できることもあるかもしれない。

 

どうにもならなかったら、またその時考えよう。

 

今日も取り止めのない、独り言のようなブログを最後まで読んでくださった方に感謝です🙏✨

「あしたは すてき」だと信じて