心身の疲労について
ここ、一か月身体が痛い。
特に背中。
数年前にうつ病になったときも、まずは背部痛、頭痛、胃痛だった。
そんなことを思い出すと、今の私は、かなり無理をしてるんだと思う。
そういえば、胃痛もあるなぁと気づく。
そういえば、先日は接客後に気が緩んで泣きそうになったこともあった。
特に難しいことを聞かれたり、怒られたわけでもないのに…。
数ヶ月前に異動になり、事務の業務から接客になった。
お客さんにも、新しいもの部署の人々にも気を使わなければならず、仕事中気が休まるのはトイレと休憩の時のみ。
仕事も覚えないといけないけれど、接客しながらなのでメモもとれない。
デスクワークばかりだった私には、ほぼ立ち仕事という点も
帰る頃には、心身ともに疲労のピークでご飯の用意もできない。
ずっと、母に甘えている。
家では、ぐったりと寝転んでぼんやりしている。
接客の時は、笑わなきゃいけない。
家では無表情になる。喋るのも面倒になる。
母の癌も消えたわけではない、もっとゆっくりさせてあげたい、ちゃんと栄養も考えた食事も作りたい、もっと楽しくおしゃべりもしたい…
だけど、今の私にその余裕はない。
このご時世、仕事があるだけ有難く思わなくてはいけないのかもしれない。
でも、私の望んでいる生活はこんなんじゃない。
仕事よりも、母との時間を大事にしたい。もちろん私の心身の健康あってのことだから、そこも大事。
何よりも、母には私が元気に毎日仕事に行き、元気に帰ってくる…そのことが嬉しいことだと思う。
うつ病になったときに、毎日泣きながら出勤し、泣きながら帰宅していたのを見ているので…。
母に心配をかけることは、母の病気にもマイナス効果だろう。
だけど、生活をしていかなくてはならない。
私はまた、倒れるまでやるしかないのかな…という結論にたどり着くと、泣きたくなる。
今日はカウンセリングの予約を入れようと思っていたけど、その気力もなく。
こうして、文字にして自分の想いを整理してみようかなという試み。
文字をみながら、「…ない」「〜しかない」「しなければならない」
の言葉の多いことに気づく。
本当にそうなのかな…。まずは、そこを疑ってみよう。
うつ病になって、リワークプログラムという復職プログラムに通っていたときに「〜かもしれないけど、〜かもしれない」という思考の大切さを知った。
どうしても、自分の考えは偏りがち。
オセロのように、黒が白にすんなりかわることもあるかも。
『お客さんにも、新しいもの部署の人々にも気を使わなければならず』を疑ってみよう。
お客さんに気を使うのは、当然として部署の人々には、今の半分くらいの気の使い方にしよう。
忙しくて、あんまり気にしてないかもしれないし。
「ここで、この仕事に時間かけすぎたらイラっとさせるかなぁ」とか「今、何かやりましょうかって尋ねたほうがいいかなぁ、余計なことかなぁ」とかは、考えすぎないようにしよう。
こんな感じで、少しは対処できることもあるかもしれない。
どうにもならなかったら、またその時考えよう。
今日も取り止めのない、独り言のようなブログを最後まで読んでくださった方に感謝です🙏✨
「あしたは すてき」だと信じて