心配しなくてもだいじょうぶ 死ぬまで生きる!ringonomiganarukiの日記

前向きな日もそうじゃない日も、何か一つ喜びを☆

街が華やぐほど悲しみが増す

母が他界しました

街の中はイルミネーションが眩しい。

この時期、今年は目に沁みる。

そういうば、10年以上前父が他界した時もそうだったな…と思い出します。

 

母が他界して一ヶ月以上経ちました。

最期まで、家にいられたので母と私にとって幸せな日々でした。

母が息をしなくなった瞬間、私はそばにいることができました。

前日まで、おしゃべりもしていたので、突然な感じでしたが…。

 

訪問看護師さん、訪問診療の先生、福祉用具の会社の方、ケアマネージャーさん、ご近所さん、私の職場の皆さん、友人、離れていても支えてくれる恩師…たくさんの人の支えのおかげで、私と母は最期まで自宅で過ごせました。途中、「家で、1人でみるのは無理。入院させた方がいい」という意見も周りからは出ました。

でも、父のこと見捨てずいてくれた母です。恩返しの意味もありました。でも何よりも、ただ、ただ一緒にいたかった。

腎臓、肺、胸、いろんなところ転移したガンと共存しました。

あまり、痛がらず、苦しまず、穏やかな毎日でした。

よく食べて、よくおしゃべりして…。仕事との両立が辛い時もあった気がするけれど、思い出すのは楽しかった当たり前の日常です。

「今日はハンバーグたべたいなー」とか「スイカたべたいなー」とか。

ステロイドで食欲が増していたので、いつも食べ物のリクエストがありました。

亡くなる二日ぐらい前に、急に「私の大事なりんごちゃん!」と私の頭をぎゅーっと抱きしめてくれました「苦しいよー!」ともがいたほど。

何かを感じ取っていたんですかね…。

毎日お互いに「ありがとう」を伝え合いました。

母から「欧米か!」と突っ込まれつつも、「行ってきます」とハグしていました。最初は照れていたけど、そのうち当たり前のように、させてくれました。

朝起きると「りんごちゃん、おはよう。今日も一日よろしくね」眠る時は「りんごちゃん、今日も一日お世話になりました。ありがとう。明日もよろしくね。おやすみ」

そう言ってくれました。

母のために、生きてきたこの数年。

母が喜ぶ母が見られること、一緒に笑えることが幸せでした。

これから、どうやって、何のために生きていくんだろう…そんなことを考えたりもします。

でも、私が楽しく生きていくこと、それが親孝行なのかな…と思いながらも、時々寂しくて、悲しくて泣いてしまいます。

そんなことを繰り返しながら、クリスマス、年末、お正月過ごすのでしょうね。

母に話したいこと、いっぱいあるのに。今日楽しかったこと、こんな珍しいもの見たよ!とか、今度あそこに行ってみよう!とか…。そんなとき、「なんで、いないのー!!」と泣いたりします。そんな時、母の「泣いても仕方ないでしょ!頭痛くなるから、泣かないで!笑って!」っていう声が聞こえます。

いつも、明るく前向きな母でした。病気なんて、嘘みたいに…。

私がいつも励まされていました。

時には、仕事で疲れ果てて「今日はなんにもしたくない…。ごめん」なんてことも。

「そういう時もあるよね。ゆっくりしたらいいよ。いつもごめんね。ありがとう」そう言ってくれました。

 

独り言みたいな、こんなブログ読んでくださってありがとうございます。

書くことで少し癒されている気がします。