街が華やぐほど悲しみが増す
母が他界しました
街の中はイルミネーションが眩しい。
この時期、今年は目に沁みる。
そういうば、10年以上前父が他界した時もそうだったな…と思い出します。
母が他界して一ヶ月以上経ちました。
最期まで、家にいられたので母と私にとって幸せな日々でした。
母が息をしなくなった瞬間、私はそばにいることができました。
前日まで、おしゃべりもしていたので、突然な感じでしたが…。
訪問看護師さん、訪問診療の先生、福祉用具の会社の方、ケアマネージャーさん、ご近所さん、私の職場の皆さん、友人、離れていても支えてくれる恩師…たくさんの人の支えのおかげで、私と母は最期まで自宅で過ごせました。途中、「家で、1人でみるのは無理。入院させた方がいい」という意見も周りからは出ました。
でも、父のこと見捨てずいてくれた母です。恩返しの意味もありました。でも何よりも、ただ、ただ一緒にいたかった。
腎臓、肺、胸、いろんなところ転移したガンと共存しました。
あまり、痛がらず、苦しまず、穏やかな毎日でした。
よく食べて、よくおしゃべりして…。仕事との両立が辛い時もあった気がするけれど、思い出すのは楽しかった当たり前の日常です。
「今日はハンバーグたべたいなー」とか「スイカたべたいなー」とか。
ステロイドで食欲が増していたので、いつも食べ物のリクエストがありました。
亡くなる二日ぐらい前に、急に「私の大事なりんごちゃん!」と私の頭をぎゅーっと抱きしめてくれました「苦しいよー!」ともがいたほど。
何かを感じ取っていたんですかね…。
毎日お互いに「ありがとう」を伝え合いました。
母から「欧米か!」と突っ込まれつつも、「行ってきます」とハグしていました。最初は照れていたけど、そのうち当たり前のように、させてくれました。
朝起きると「りんごちゃん、おはよう。今日も一日よろしくね」眠る時は「りんごちゃん、今日も一日お世話になりました。ありがとう。明日もよろしくね。おやすみ」
そう言ってくれました。
母のために、生きてきたこの数年。
母が喜ぶ母が見られること、一緒に笑えることが幸せでした。
これから、どうやって、何のために生きていくんだろう…そんなことを考えたりもします。
でも、私が楽しく生きていくこと、それが親孝行なのかな…と思いながらも、時々寂しくて、悲しくて泣いてしまいます。
そんなことを繰り返しながら、クリスマス、年末、お正月過ごすのでしょうね。
母に話したいこと、いっぱいあるのに。今日楽しかったこと、こんな珍しいもの見たよ!とか、今度あそこに行ってみよう!とか…。そんなとき、「なんで、いないのー!!」と泣いたりします。そんな時、母の「泣いても仕方ないでしょ!頭痛くなるから、泣かないで!笑って!」っていう声が聞こえます。
いつも、明るく前向きな母でした。病気なんて、嘘みたいに…。
私がいつも励まされていました。
時には、仕事で疲れ果てて「今日はなんにもしたくない…。ごめん」なんてことも。
「そういう時もあるよね。ゆっくりしたらいいよ。いつもごめんね。ありがとう」そう言ってくれました。
独り言みたいな、こんなブログ読んでくださってありがとうございます。
書くことで少し癒されている気がします。