祖母と母との三人旅
父が急死したことは何度か書いた。大動脈解離だった。
さかのぼること7年前、父方の祖母が急死した。大動脈解離だった。
なので、父が他界したときに母が「これは遺伝するんでしょうか?」と医師に尋ねた。
「いえ。遺伝性のものではありません」と言われ。なんだか私もほっとした。
父はいつも、「おふくろのように、ぽっくり死にたい。父ちゃんは、悪いことばかりしてきたから、長患いして、りんごや、母ちゃんにいじめられるんだろうなぁ(苦笑)」と言っていたが、同じようにぽっくり逝ってしまった。
ある意味、「願いどおり」だった。
父方の祖母が急死した時も、朝「今日買い物にいくけど、何かいるものある?」と電話がかかっていた。元気だった。
祖母の家のテーブルの上には、うちの分として買っておいてくれた、いつものお惣菜があった。
なのに、祖母はもうご遺体となっていた。
人の人生って、こんなに突然終わるのか…と驚いた。
前置きが長くなった。本題に入りましょう。
そんな父方の祖母の死を経験して、母方の祖母と旅行に行くことにした。
「ばあちゃんと旅行に行ったことがないなぁ」と気づき、まだ、歩けるうちに…と。
母方の祖母は、当時すこし認知症がはいっていたけれど、歩いたり、食べたりには問題がなかった。
のんびりした旅がいいなぁということで、湯布院での温泉旅にした。
「ゆふいんの森号」に乗って、初めての母と祖母と私の三人旅。
露天風呂が絶景の「夢想園」に泊まった。
当時父も生きていたが、「皆で楽しんでおいで」と遠慮されてしまった。一人で置いていくと、それはそれで、「またお酒飲んだりしないかなぁ」と心配だったけれど。
父のことはさておき、お宿での温泉が祖母はちょっと苦手だったようだ。
露天風呂は「この池は熱い」とあまり入れなかった。
豪華な夜ご飯は「これはいわしかね?」と言いながら、ステーキを食べていた(笑)
「もう食べられない」と言いながらも、少しずつ食べ、見事に完食!その食欲に驚いたりもした。
朝は、母がお化粧をしてあげながら「きょろきょろしないで!じっとしてて!」と怒られていた(苦笑)
「年をとると、親子が逆転するんだなぁ」と20代の私は、そんな二人を眺めていた。
20年後、私と母も同じようなことになるとは全く想像もしなかった。
私としては、「おばあちゃん孝行」のつもりだったけど、楽しかったのかなぁ…とずっと思っていた。あまり反応もなかったので。
数年後、祖母は介護施設に入った。
その時、職員さんから「〇〇さん(祖母)は、由布院のご出身ですか?よくお話をされるので…」と言われて、
母と「覚えてくれてるんだね。由布院のこと」とちょっと泣き笑いをした。
祖母は昔から口数が少なかったけれど、認知症になって益々あまり会話をしなくなった。
なので、職員さんにそんな話をしていることも意外だった。
楽しい想い出であってくれたなら良かった。私の自己満足でなかったのなら。
今度は、母と二人でもう一度いってみたい。あの時の祖母のように、母も「熱い!」と温泉に入れなかったりするのだろうか。
一つ言えるのは、あの頃母の手なんてつなげなかったけど(気の強い人で、危ないからと手を貸しても「大丈夫!」とはねのけられていた)今は手をつないで歩くことも母は嫌がらない。
そんな母と見る風景はまた、違って見えるだろう。来年は母と旅に出よう!