心配しなくてもだいじょうぶ 死ぬまで生きる!ringonomiganarukiの日記

前向きな日もそうじゃない日も、何か一つ喜びを☆

祖母と母との三人旅

お題「もう一度行きたい場所」

 

父が急死したことは何度か書いた。大動脈解離だった。

さかのぼること7年前、父方の祖母が急死した。大動脈解離だった。

なので、父が他界したときに母が「これは遺伝するんでしょうか?」と医師に尋ねた。

「いえ。遺伝性のものではありません」と言われ。なんだか私もほっとした。

父はいつも、「おふくろのように、ぽっくり死にたい。父ちゃんは、悪いことばかりしてきたから、長患いして、りんごや、母ちゃんにいじめられるんだろうなぁ(苦笑)」と言っていたが、同じようにぽっくり逝ってしまった。

ある意味、「願いどおり」だった。

父方の祖母が急死した時も、朝「今日買い物にいくけど、何かいるものある?」と電話がかかっていた。元気だった。

祖母の家のテーブルの上には、うちの分として買っておいてくれた、いつものお惣菜があった。

なのに、祖母はもうご遺体となっていた。

人の人生って、こんなに突然終わるのか…と驚いた。

前置きが長くなった。本題に入りましょう。

そんな父方の祖母の死を経験して、母方の祖母と旅行に行くことにした。

「ばあちゃんと旅行に行ったことがないなぁ」と気づき、まだ、歩けるうちに…と。

母方の祖母は、当時すこし認知症がはいっていたけれど、歩いたり、食べたりには問題がなかった。

のんびりした旅がいいなぁということで、湯布院での温泉旅にした。

ゆふいんの森号」に乗って、初めての母と祖母と私の三人旅。

露天風呂が絶景の「夢想園」に泊まった。

当時父も生きていたが、「皆で楽しんでおいで」と遠慮されてしまった。一人で置いていくと、それはそれで、「またお酒飲んだりしないかなぁ」と心配だったけれど。

 

父のことはさておき、お宿での温泉が祖母はちょっと苦手だったようだ。

露天風呂は「この池は熱い」とあまり入れなかった。

豪華な夜ご飯は「これはいわしかね?」と言いながら、ステーキを食べていた(笑)

「もう食べられない」と言いながらも、少しずつ食べ、見事に完食!その食欲に驚いたりもした。

朝は、母がお化粧をしてあげながら「きょろきょろしないで!じっとしてて!」と怒られていた(苦笑)

「年をとると、親子が逆転するんだなぁ」と20代の私は、そんな二人を眺めていた。

20年後、私と母も同じようなことになるとは全く想像もしなかった。

 

私としては、「おばあちゃん孝行」のつもりだったけど、楽しかったのかなぁ…とずっと思っていた。あまり反応もなかったので。

数年後、祖母は介護施設に入った。

その時、職員さんから「〇〇さん(祖母)は、由布院のご出身ですか?よくお話をされるので…」と言われて、

母と「覚えてくれてるんだね。由布院のこと」とちょっと泣き笑いをした。

祖母は昔から口数が少なかったけれど、認知症になって益々あまり会話をしなくなった。

なので、職員さんにそんな話をしていることも意外だった。

楽しい想い出であってくれたなら良かった。私の自己満足でなかったのなら。

今度は、母と二人でもう一度いってみたい。あの時の祖母のように、母も「熱い!」と温泉に入れなかったりするのだろうか。

一つ言えるのは、あの頃母の手なんてつなげなかったけど(気の強い人で、危ないからと手を貸しても「大丈夫!」とはねのけられていた)今は手をつないで歩くことも母は嫌がらない。

そんな母と見る風景はまた、違って見えるだろう。来年は母と旅に出よう!

 

www.musouen.co.jp

www.jrkyushu.co.jp