「いずれにしても、起こることは起こるし、起こらないことは、起こらないのだから…」
今、無職の私はずっと母に付き添っている。と、言っても母は自分で何でもできるので、ちょっと立ち上がるのに手を貸したり、ご飯を作ったり、洗物をしたり、買い物にいったり、何かをするのを見守ったりという感じだ。
やたらと、時間だけはある。仕事も探さなければいけない。
でも、気持ちがついてこない。今、母の側を離れるのは心配だけど、もっと具合が悪くなった時のことも考えて、今こそ働いておくべきなのか…とか。
色んな思考だけが、ぐるぐると頭の中で駆け巡る。
そんな中で、まだまだ、このブログもほとんどの人の目にも触れてないであろう時に、アマゾンのアソシエイトセントラルにも挑戦してみた。承認されましたメールが来て、「おー!!できた!!」と嬉しくなった。
時間だけはあるので、色んなことを自分で経験してみようではないかと。
「リンクを貼りつける」…???どうやるんだろう…。いろんな人のブログやサイトで調べてみる。とにかくやってみる。間違えたって、命はとられない。
そんな気持ちで、とにかくやってみている。
なので、作りとしてはたぶんめちゃくちゃだろう(苦笑)
今日ご紹介したいのは(通販番組風になってしまいました)、「ホワイトウルフの教え」という本。
「いずれにしても、起こることは起こるし、起こらないことは、起こらないのだから、
起こるか起こらないかを心配したり、恐れたりするよりも、今やるべきことをし、何がどうなっても、そのとき適切に対応できるよう準備をしておけばよろしい。」
癌だと宣告された母のことで涙を流しつつ、「落ち着かなければ」と本棚から何気なく手に取った時に、目にして以来私を支えている言葉の一つだ。
ずいぶん前に、友達に贈られた本だけど、その時はサラリと読んでいた。
状況や、環境が変わると、言葉や文字のもつ意味も変わってくる。
今、こうしてこの言葉のことを思い出したのも、何かのメッセージかもしれない。
今回も、読んでくださった方に感謝です。
できそうでできないこと できなさそうでできること
母は退院して日が浅い。手術もしているので、入院中はほとんど歩かなかった。
退院後、訪問看護さんに「すこーしずつ、歩いてくださいね。足の筋肉落ちてると思うので」と言われて、昨日は家の周りをぐるりと、今日は少し離れたコンビニまで行ってみよう!と行ってみた。
お天気も良く、お散歩日和。「気持ちいいねぇ」と手をつないでてくてくと。
「…気持ち悪い」と帰りがけに、間もなく家に着くころに母が言い出した。
慌てて、コンビニで買ったジュースやお菓子などを出して、袋を差し出した。
ちょっともどしつつ、息があがってきていて、唇も色がなくなってきていた。
「しまった…」と後悔しつつ、背中をさすり、団地の階段に腰掛けさせてから、家に戻り水を持ってきて飲ませ、落ち着くのを待つ。
家に帰ったら「ごめんね。心配かけて」と謝られてしまった。私が焦り過ぎたのに…。
「こっちこそ、ごめんね。無理させてしまったね」と謝り返すと、「いいんよ。行きたかったんやもん」とにやりと笑っていた。
この線引きが難しい。本人も傍で見ている私も「これくらいなら大丈夫かな」と思ってやってみるけど、こうやって体調を崩したり…「これは、ちょっときついかな」と思ってもスクワットができたり(苦笑)
やっぱり、まだまだ気を付けて寄り添わないといけないなぁ…と気を引き締めた出来事でした。
仕事もしなくちゃと焦るけど、やっぱり「今」が大事。
あと床に座るのがきつそうなので、早く座椅子を…と考え中。
こういうのがあると便利かなぁと。
続ける事の難しさ
毎日必ずすることってなんでしょう?
私がパッと思いつくのは歯磨き・洗顔・食事・テレビ見るぐらいでしょうか^_^;
なんでも、続けることって意外と難しい気がします。
うつ病になって、休職していた時も、今こうやって無職でいる時も「仕事を続けていられる人ってすごいなぁ」と思っています。「もう辞めたい」とか「上司が大嫌いだ」とか、「この仕事になんの意味があるのか」とか色んな想いを抱えながらも「続けている」ということだけで、「私(俺)、すごいかも?」と思ってもいいぐらいです。私が何か賞をあげらる立場ならあげたいくらいです。
父が、アルコール依存の治療の一環として、というか治療は「断酒」しかないと言っても過言ではないのですが、断酒を続けていました。
断酒して一周年は、コーヒーとケーキでお祝いをして「お酒を飲まないだけで、皆がこんなに喜んでくれるなら、もっと早くお酒を止めればよかった」そう言っていました。
それでも、翌日には飲酒してしまうのが、アルコール依存症と言う病。
意思なんて、関係ない。「病」なので。
「気持ちが弱いから、そうやってまた飲むんだ!」なんていうのは言語道断。
家族も落ち込むけれど、一番落ち込むのは本人。
止めることを続ける…ちょっと不思議な言葉ですが、それもまた難しいのがアルコール依存症です。
今日、パソコンの前に座って「何を書こうかな…」としばらく悩みました。
このブログ…というのも書きたいことを書いているだけなのですが、「続ける」となると、難しい(苦笑)
でも、目標一か月。とりあえず毎日書いてみようと思います。そうしたら「一か月続けられた!」という自信になるのかも。
つれづれなるままに…。
職探しもしつつ…。
今更ながら、気になっている本。 いつかどこかで出会ったら、立ち読みしてみようかなぁ。
黒猫がやってくる
日が落ちてからの帰宅途中、目だけがぎょろっと光って、「えーーーー!?」っと
思ったら、黒猫だったという経験ありませんか?ホントに、夜の黒猫はやめてほしい。
今日の話は、その黒猫ではなく、宅急便の方です。
お誕生月なので、友達がカードやプレゼントを送ってきてくれるので、本当に有りがたい。
今日は数日前に「お使いの黒猫が明後日ごろに伺います」とLINEがきた。
私の大好きな、あまーいスィーツと自分ではなかなか買えない、高級紅茶でした。
無職の私は「このご恩は忘れませぬ」とお礼のLINEを贈ったけれど、「恩とかいいよー」と言ってくれた。
職探しの日々だけど、どこで妥協するかは迷うところ。
病を抱えた母との時間も大事にしたい。でも実際生活していくのにお金はいる。自分の老後のこともある…。と、いっても自分の老後のことはあまり考えていない。
くるか、来ないかわからないので…。
でも、さすがに「ねんきん定期便」の「年金額(年額)」を見て、「これはまずいのでは…」と思った。
月5万を切っていた。休職もしたし、仕事を辞めて間もなく二年が過ぎようとしている。
それでも、「働くって、自分の時間を売る事。良く考えなさい」と言っていた恩師の言葉も忘れられない。
何を優先すべきか、一番守りたいものは何か。
答えはでているけれど、なかなか踏み出せない。
それは、うつ病になり仕事に対して、人間関係に対して自信を無くしてしまっているから。
無くした自信は、自分で取り戻すしかない。それも解っている。
「動けない時は、動かない方がいい時。何か理由がある」って誰かが言っていた(か、何かで読んだか…)
ということは、「ここぞ!」という時には、きっと動くのだと信じよう。自分が動くのか、周りの何かが動くのかは解らないけれど。
自分なりにできること(履歴書を書く、ネットで仕事を探す、「こんな条件で、こんな仕事があったらなぁ」とイメージする)をしつつ、今は、今を大事にしよう。
文字にしてみたら、なんだかちょっと整理された気がします。
アルコール依存症という病
父は、ちょっと短気なところはあるものの、常識的で本をたくさん読んでいて、人への接し方もソフトで紳士的な人だった。面白いことが大好きで、よくおかしなことをして笑わせてくれた。
難病を患い、仕事を30代で辞めたため、私と接する時間も多く、たくさんのことを教わった。
それは、躾的なものから、絵画のこと、音楽のこと、本のこと…とさまざまだ。
そんな父が、アルコール依存症であると解ったのは、他界する二年ほど前のことだった。
物心ついたときから、お酒を飲んで暴言を吐いたり、誰かと掴み合いの喧嘩をしたり、もちろん、矛先が私や母に向かうこともあった。
夜中に、探し回ったことも、警察から電話がかかってきたこともあった。
インターネットの普及で、「アラノン」というアルコール依存症の家族会があることを知り、母と行ってみたりもした。
サイト上で知り合った、同じように苦しんでいる方から励ましの言葉とともに「あなたにできることはない。底つきを待って。あなたはあなたの時間を大事に過ごして」とも言われた。
アルコール依存症は、まずは本人が認めなければ治療につながらない。
父も「お父さんはアルコール依存症じゃない!朝からお酒飲んだりしてない」と頑なだった。
とある事件がきっかけで、父が「(アルコールの)病気かもしれない。病院へ行こうと思う」と言い、本当に良かった…と安堵したが、それはまだスタートに過ぎなかった。
病院へ一緒に行った時に、先生に言われた言葉がとてもショックだった。
「あなたのような幸せな人はなかなかいませんよ。みなさん、家族にも友人にも見放されて、一人で来られる方がほとんどです。あなたのように、ご家族が一緒にきてくれるなんてことは滅多にないんですよ。あなたのこれからの為にも、ご家族の為にもがんばりましょうね!」と。
父は涙を流した。私も辛かった日々を思い出して涙ぐんだ。ここにくるまでに20年くらいかかった。それまでに、たくさんの人が傷つき、傷つけた父もまた傷ついた。根はやさしく、情の深いひとだけに、人に迷惑をかけ、傷つけることに対してなんとも思わない人ではなかったから。
入院治療…といっても、もっぱら断酒と、座学、運動だ。
なぜ、お酒を飲んでしまうのか、飲みたくなったらこれからどうするのか?同じ患者さんたちとのグループミーティングもあり、そこで仲間とともに自分を見つめ直すという作業が続く。
父のお見舞いに行くたびに、顔つきが優しくなってくるのが解る。
そして、反省と後悔と懺悔の言葉が出る。
「おふくろにも迷惑をかけた…」としょんぼりしていたので、「生きているうちに気付けて良かったよ(苦笑)」とニヤリと笑って言うと「そうだね」と穏やかに笑っていた。
退院して、またお酒を飲んでしまい(スリップと言うらしい)、また入院して…の繰り返しだった。
ずっと、闘っていたんだと思う。
「いろんな人に、自分がアルコール依存症だということを話していこうと思う。誰かの役に立つかもしれない」そう言っていた父。
あまりにも早く、他界してしまったけれど、私がその意思を継いでいこう。
お酒を断って、「朝から頭がすっきりしてる!クリアな感じ!」と喜んでいたので「だいたい、普通の人はそうだよ!今知ったの?」と返すと「そっかー(笑)」と笑っていた。色んなことに気づいては、それを私に伝えてくれた。
父…というより、わたしとしては「手のかかる出来の悪い弟」みたいな一面もあった。
なんだか、不思議な父娘だった。ちょっと、会いたくなったなぁ。
久しぶりに、夢にでもご出演願いたい。ノーギャラで。
二つの取っ手
小学生の時に何度も読んだ「すてきなケティ」(クーリッジ・作 山主敏子・文 ポプラ社)の中で、主人公のおてんばな女の子ケティが怪我をして、部屋でじっとしていなければいけない時に、お見舞いに来た憧れの従姉妹ヘレンから諭される場面。
この言葉がとても好きで、時々ふっと思い出す。
なんにでもいい面はあるのよ。
世の中のすべてのものごとには二つの取っ手がついているの。
知らなかった?一つはらくな取っ手、これを持てばものごとはらくに軽くあがるし、苦しい取っ手をにぎれば、手はいたくなるし、ものごとはらくにあがらないの。
この苦しい取っ手をにぎろうとするひとが、よくいるものなのです
もう20年以上前に読んだ本だけれど、時々思い出して読んでみたくなる。
そして、大人になっていろんな経験をしたからこそ、その言葉の意味が実感を伴って解る。
らくな取っ手を選ぶのは、自分の考え方次第なのかもしれない。
必ず、二つの取っ手があるのならば。
今日食材の買い物をした帰り道、荷物が重くて「あー、しんどいなぁ」と眉間に皺を寄せながら思った。
そうではない。そうじゃなかった!
一人分ではなく、二人分だから重いんだということに気づくと、なんだか嬉しい気分になった。
母が入院していた時は、自分の分だけだから軽かったことを思い出したのだ。
今日は、うまい具合に「らくな取っ手」をつかめたのかもしれない。
全くの余談だが、この本、当時はジャケ買いだった(笑)
イラストがとてもかわいくて気に入ったので。子供の頃なんてそんなものです。
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- 作者: クーリッジ,山主敏子,青山みるく,Susan Coolidge
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 1986/11
- メディア: 新書
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リワークプログラムに通っていた頃
購入した、ヨガマット。
うつ病で休職していた時に通ったリワークプログラム(職場復帰のための回復プログラム)では、まず今朝までで、できたこと、うれしかったこと、ちょっとモヤモヤしていること…そういう気持ちを話してシェアして、ラジオ体操、ヨガマットを敷いてのストレッチだった。
ヨガとは縁がなかったので、リワークで初めてヨガマットを体験した。
だんだん、興味もわいてきて、Youtubeでヨガの動画を見ながら家でもやってみたりした。
気持ちいい!なんだかスッキリする。集中できる。
これは、ヨガマットがあればもっとテンションが上がる(形から入る人です)
今は、丸められて部屋の隅に…。
最近久しぶりに出してきて、使ってみた。
やっぱり気持ちいい!
続けてみたら何か、いい効果がでるのかも?!
無心で身体を動かす(というほどの、動きではないかもしれませんが…)というのは、気持ちもなんだかスッキリする。
↓私が使っているものと同じものではありません(汗)色はこんな感じのピンクというところだけが同じ。
香川照之ならわかるのだろうか?
お風呂につかっていたら、外から虫の鳴く声がする。
コオロギなのか、なんなのか…私にはわからないけど、多分数種類いると思われる。
ふと思う、香川照之なら分かるのかなー。なんてことを(笑)
今日も、ご飯も食べられて、お風呂につかれて、ブログも始めることができて、感謝です✨🙏✨
ある日突然癌患者の家族になる
20年近く前の話。
母が乳がんだと判明。本人はあっけらかんと「切ったら治るから。心配しなくていい。」と言った。
私は勝手に、その後の抗がん剤の副作用などを考えて、どんなに辛いだろう…と一人泣いた。
しかし!
母の言うとおり、乳房全切除だったけれどその後の抗がん剤の服用もなくホルモン剤のみで、副作用などなかった。私のあの時の涙は、心配は…と思わなくもないけれど、母の「闘う」でも「悲観する」でもなく、一つの現象として「受け入れる」強さを感じた。
当時、一番もろかったのは父だ。動揺し過ぎでしょ!と思うくらいにバタバタとして、色んなことを心配し、あげくの果てには飲み過ぎの日々…という情けない感じになってしまった。
そして、二年前再び私は癌患者の家族となった。
母が腎臓がんと告げられた。
それもここ2、3年でできたものではないという。5、6年をかけて大きくなってしまっていた。
この5、6年…といえば、私がうつ病になってもがきながら休職や復職を繰り返していた頃。
母にどれだけの心配をかけてしまったのだろう…。本当に申し訳ない。癌はわたしのせいだ…とも思えた。
最近のお医者さんは家族だけ呼んで「告知しますか?」とかないのだろうか?
「隠しても仕方ないし、一緒に治療していかないといけないから、はっきり言いますよ!」と前置きして告げられた。
母と二人で「そうですか…。わかりました」と言うしかない。
母は、相変わらず受け入れた。ある日突然抗がん剤治療が始まり、副作用で食べられなくなったり、下痢が続いたり…。私はどう支えたらいいのか途方に暮れた。
とりあえず、なんとかしなくては…と本を買ってみたりもした。
とにかく、色んな本を読んだ。
副作用で食べられないので、スープやジュースを作ってみたり、「食べない方がいい食材」として書かれていた、四本足の動物のお肉を避けてみたりもした。ニンジンジュースも飲ませてみたりした。
これが、効いたかどうかは、さておき「やれるだけのことをしよう」と決心した。
私はこっそり泣いたりもしたけど、それでも、母は明るかったし、落ち込んだりもせず飄々としていた。
おかげで、私が救われていた。
今は、片方の腎臓を摘出し、抗がん剤などは飲んでいない。
なので、元気だ。肺の転移はあるものの。
先のことを心配しても仕方ない。
父の死で学んだことは、こういう時も活かされる。
明日のことは、母だけでなく今はなんともない私でも、わからない。
不確かな未来より、今ここにいる人、繋がってくれている人、大事にしていこう。
「今」を大事に、積み重ねていこう。
母のことを相談し、仕事を辞めてしばらく落ち着くまで母の側にいようと思う…と相談した時に、「お金はまた働いて取り戻せるけど、時間は取り戻せないからね」と背中を押してくれた人がいた。
仕事を辞めたこと、後悔はしてないけれど、再就職…難航中^_^;
こういう時じゃないと、ブログなんて始める余裕は私にはなかっただろう。
ということで、それもまた良しとしよう。
「考えてばかりじゃ日がくれちゃうよ」by相田みつを
「慎重」といえば、聞こえはいいけれど考えてばかりで何も進まない、何もできない…時間だけが過ぎていくことも多い。
そんな時に思い出すのがこの言葉。どんどん、動ける人になりたい。きっと一生なんてあっという間。どれだけの経験ができるだろう。どれだけの人に出会えるんだろう…そんなことも思う。
今日も日が暮れてしまった。
さっきまで、アマゾンアソシエイトの登録にてこずっていた。正直、そういうのも苦手。よく解らない言葉がたくさん出てくるので、色んな方のブログなどを参考にすすめてみたものの、なんだかエラーが出てしまった。
なんでも、やってみると難しい。やっている人はすごいなぁなんて感心もする。
そう!そういうことなんだと思う。
やってみないと、その大変さは解らないし、逆に「意外と簡単にできた!」とおもうこともあるかもしれない。
なんでも行動する前から「私には無理!」と決めつけずに「できる…かも?!」という気持ちでいられたらいい…かも?!